最期を迎えるということ(ペットロス)
※フリー画像使用
ペットちゃんたちは私たちよりその命が短いです。
それは誰もが分かっていること。
少しでも元気に長く生きてほしい。
そう願ってやまなくても、その"とき"は来てしまうのです。
それは闘病の末、かもしれないし
突然、かもしれない。
突然の場合、後悔は増すと思います。
うさちゃんは捕食動物。
つまり、自然界では食べられる身。
なので、弱っているところを見せたがりません。
もし、自然界で弱っている姿を見せてしまうと、すぐに食べられてしまうからです。
元気を装うのです。
なので、気付いたときには手遅れだった。
ということも多くあります。
初代うさのみっくすがなくなったとき。
それはみっくすが体調を崩して2日後のことでした。
あまりに急なお別れ。
そして、最期を看取ることが出来ませんでした。
後悔 や してあげたかったこと はたくさんありました。
たくさん、たくさん、ありました。
もっと早く気付いてあげれば良かった。
もっと早く病院に連れていけば良かった。
もっとたくさん一緒にいたかった。
もっとたくさん遊んであげれば良かった。
もっと大切に接してあげれば良かった。
こんな飼い主でごめん。
一緒にいる時間を作れなくてごめん。
最期 一緒にいられなくてごめん。
深い悲しみ と 後悔。
だけど、朝、母から
「みっくすがなくなってるよ」
と告げられたとき。
そのときはまだ、悲しみはなかったのです。
信じられなかったから。
"死"という言葉とその意味を知っていても、それを経験することがなければ、その本当の意味は理解できないのです。
そしてそれはある程度の年齢でなければいけない。
数年前、私が中学生のころになくなったペットにたいして、私は結構あっさりとしていました。
悲しいには悲しいけど…
時が立ち、19歳になった私は"死"の本当の意味を知ることになりました。
みっくすはしんだ。
しんだ。しんだの?
もう…動かないんだよね?
もう…一緒に遊んであげられないんだよね?
"死"を認識するのに少し時間がかかりました。
たぶん、看取れなかったからこそなのだと思います。
"死"を認識してしまったら、涙が溢れてやみませんでした。
ずっと…
ずっと…
その日、私は3分の2を泣いて過ごしました。
翌日も、翌々日も、みっくすのことしか、うさぎのことしか考えられない。
頭のなかがそれだけになってしまったのです。
当時、夏期休暇中だったのですが、命日の翌日は成績発表で、所謂登校日でした。
行きも帰りも、車のなかでみっくすを思っては泣き…
どうしてこんなときに学校なのかと憎んだ。
でも、そんなとき、母は私に言いました。
「学校があったらばたばたしちゃうから、休みの日をみっくすは選んだんだろうね」
と。
みっくすは優しい子だった。
おおらかで、心が広くて…
私たちのことをそっと見守ってくれていた。
そんなうさだった。
「みっくすは実里の悲しむ姿を見たくなかったから、そんな状況のまま、いきたくなかったから、実里が寝ている時を選んだのよ。きっとそう」
母の言葉は温かく、みっくすの性格を感じさせるものでした。
6日経って、ようやく心の整理がついてきたかと思いましたが、それはただただ見ぬふりをしてただけで…
1週間後、また深い悲しみに襲われたのでした。
結局2ヶ月間。
私はみっくすを思い、泣きました。
そんな私を立ち直らせてくれたのは、ちょこ。つまり、もう一匹のうさでした。
みっくすがなくなってから、暫く、ちょこは食欲が減退していました。
それがひどく恐ろしかったのですが、徐々に食欲を取り戻し、私を笑わせてきました。
愛する家族をなくすこと。
それは深い悲しみと後悔。
ですが、それは経験になるのです。
私は同じ後悔をしないようにと…
ちょこを以前の何倍も愛することにしました。
愛せば愛するほどに別れは悲しい。
だけど、愛さなければまた同じ後悔をする。
突き放せば別れは悲しくないけれど、ちょこはそれで幸せなのか…
悲しければ泣けば良い。
それをバネにして、強くなればいい。
みっくすは私に教えてくれました。
その、小さな身体で。
その、短い命で。
みっくすがなくなる前の晩。
実は少し動くようになっていました。
私はそれが"回復に向かっている"と勘違いしていました。
でもそれは"最後の力を振り絞り笑顔を届けてくれていた"のです。
だから、今年、ちょこが体調を崩したとき、元気になっていってるのを喜ぶ反面、これはどういう意味なのかと、悩み、考えました。
ペットロスは辛く、悲しいものでした。
これまでとは比にならないくらいに。
だけど、それはそれだけその子を愛していたということです。
愛していたのです。
大切な家族だったからこそ、悲しかったのです。
もし、ペットロスに悩んでいる方がいらっしゃれば、それは誇りに思って良いと思います。
それだけ愛していたということだから。
私は専門家ではありません。
偉そうに言える根拠はどこにもない。
これは経験論です。
でも、心の整理をするとき、
写真を眺めてみたり、
簡単なスライドショーを作ってみるといいかなと思います。
私も簡単なものを作りました。
泣きながら(笑)
出来上がって見直しても泣いてました(笑)
その悲しみを、辛さを乗り越えるからこそ、もっといろんなことを学ぶことが出来るのです。
↓ 私が作ったのはこちらです。本当に簡単なものですが(;'∀')
悲しくても、怖くても、
時は流れていくんですよね。
人生、平等なのは
“生まれて死ぬ”ということと
“時”だけ。
私はそんな風に思っています。
だからこそ、今を大切に…
愛するペットちゃんとの時間を大切に…
していただきたいなと思います。
次回は“お別れ”について書きます。
なくなったときにとる行動や、お葬式、火葬等についてまたまた経験談を基に書きますので、そちらもお読みいただければと思います。
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奏実里🍀
2017/10/06
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